イノベーションと倫理的配慮の両立を目指して ~サイバーエージェントの研究倫理審査の取り組み~

技術・デザイン

AI技術の発展に伴い、情報科学・工学分野における倫理的課題への対応の必要性が高まっています。メディア・ゲーム・広告事業を展開するサイバーエージェントでは、それぞれの事業において研究活動を加速させつつ社会への配慮を担保するため、2022年に「研究倫理ガイドライン」を制定するとともに、研究倫理審査委員会を設立しました。同委員会では、社内のみならず外部の専門家も招聘し、研究内容が人を対象とする場合の倫理的な審査を行っています。

今回は同委員会の設立の経緯や今後の展望について、立ち上げメンバーであるグループIT推進本部の森下と「AI Lab」研究員の馬場に話を聞きました。

Profile

  • 森下壮一郎(グループIT推進本部 学際的情報科学センター)
    2005年 埼玉大学大学院 理工学研究科 博士後期課程中退。2009年 同大学 博士(工学)。東京大学、電気通信大学、理化学研究所を経て、2016年より株式会社サイバーエージェント。現在、学際的情報科学センターのリサーチャーとして、メディアサービスの社会的受容性の調査やユーザーデータの分析等に従事している。

  • 馬場惇(AI事業本部/AI Lab Interactive Agent Agent Development)
    2014年新卒入社。同年に広告部門初の研究組織を立ち上げ、広告配信最適化の研究開発に加えデータサイエンティストとして広告配信事業のロジック開発責任者を兼任。
    2017年から現在まで、AI Lab Interactive Agentグループの主任研究員として、大阪大学大学院基礎工学研究科との先端知能システム共同研究講座の運営責任者を務め、ヒューマンロボットインタラクション、機械学習、対話システム、遠隔アバターロボットの研究に従事している。

サイバーエージェントが「研究倫理審査」に向き合う理由

── 倫理審査委員会を設立した理由を教えてください。

馬場:現在、世界的にAI技術の研究開発が活発化する一方でその倫理的な課題に対する懸念も大きくなってきています。サイバーエージェントにおいても、AI技術の研究開発を推進する中で、AIによるバイアス・差別の助長やフェイクニュース・フェイク動画による行動誘導の問題をはじめとしたELSI(倫理的・法的・社会的課題)への取り組みが重要となっています。

当社のAI技術の研究開発組織である「AI Lab」は、研究成果を論文として国際学会や学術誌へ投稿しており、その数は年間100本を超えます。加速していく研究活動に対して社会への配慮を担保するため、また論文投稿の際に求められる倫理審査を迅速に行うため、2年前から社内に研究倫理審査委員会を設立し、活動を行っています。

事業会社として多くのユーザーやクライアントを抱えている当社にとって、事業に応用される科学技術の社会的影響を見極めることは重要です。研究者には迅速な審査を、事業経営者にはリスク低減と将来の技術活用への道筋を、サービスを利用するユーザーやクライアントには安心・安全を提供したいと考えています。
 

―倫理審査委員会の設立にあたって、課題はありませんでしたか?

馬場:まずガイドラインの制定や委員会の設立の際は「適正なガイドライン・審査委員会」の要件をどうすれば満たせるのかが手探りだったので、そこは苦労しました。生命科学・医学系の研究機関は認定制度が過去にあったり、委員会報告システムが公開されておりそこに登録する形がとれるのですが、情報科学・工学系の研究開発が主である場合にどうすれば適正かはいまだに模索しているところがあります。

ただ、社内外の調整は驚くほどスムーズに進んで、担当役員もすぐに重要性を理解して後押ししてくれましたし、ガイドラインの修正作業や審査委員の依頼なども全ての方が快く協力してくれましたね。外部の専門家の先生方も取り組みの意義に共感いただき、多くの先生方に外部委員を快諾いただけました。


── 委員会発足から2年が経つのですね。実際に制定したガイドラインの特徴や、委員会の活動内容を教えてください。

研究倫理ガイドライン「研究対象者のみならず実証環境に介在する人」への配慮を明記し、研究対象外の人も視野に入れているのが特徴です。一方で、倫理的配慮とイノベーションのバランスも考慮し、委員会では研究目的と倫理的課題の両立につながる審査・提案を心がけています。2023年度は6件の審査を実施しました。

多角的な視点から研究倫理を捉えるために取り入れた工夫

── 具体的にはどのような研究分野を対象に審査されていますか?
また、倫理審査委員会のメンバー構成はどのようになっているのでしょうか。

森下:
当社の事業柄、情報学や工学の研究が対象となることが多いですが、当委員会では特に分野を問わず「人を対象とする研究」のうち、主に当社が主導して実施するものを審査の対象としています。ただし、生命・医療系の研究については外部の専門機関との共同研究で実施し、倫理審査もその外部研究機関にお願いすることを原則としています。

馬場:委員会では可能な限り多様な意見が出されるように、社内の技術者や研究者、人事、法務、広報といった様々な職種の男女両性の有志が参加しています。それに加えて、ジェンダーギャップ解消活動に取り組んでいる方や、社外の研究倫理に携わる専門家にもご参画いただいてます。

(左)国立情報研究所 情報学プリンシプル研究系 武田英明教授 
(右)日本大学 理工学部 理工学研究所 上席研究員 吉開範章氏
(左)国立情報研究所 情報学プリンシプル研究系 武田英明教授
(右)日本大学 理工学部 理工学研究所 上席研究員 吉開範章氏

── 多様な意見が出る工夫をされているのですね。研究倫理ガイドライン制定時には、工夫をしたことはありますか?

森下:当社の研究者や技術者が実践すべき、広く社会に受容される高い倫理性のある行動規範が掲載されています。具体的には、研究や開発における研究対象者および社会や環境への配慮や、公正な研究などが挙げられます。これらの原則は、他の研究機関と同様ですね。

当社ならではのガイドラインという点で意識したところは、「新しい力とインターネットで日本の閉塞感を打破する」という"パーパス"(目指す存在意義を明文化したもの)に即した内容としていることです。日本社会に漂う閉塞感を打破するために、テクノロジーで社会の進化を牽引する存在を目指し、研究開発に取り組む。その際にELSIの解決を念頭におき、社会や環境への影響を熟慮することが重要だと考えています。


──状況に合わせ、ガイドラインの内容は適宜見直しもされるのでしょうか?

森下:「研究倫理ガイドライン」は研究実施にあたっての大原則として、普遍的かつ陳腐化しない理念として制定しています。この理念を具体的に実践するために「研究倫理審査実施手順」を定めており、これについては定期的に見直しや改訂を行っています。改訂作業には社内の研究者・技術者の意見や外部の専門家の意見を取り入れています。法改正などをキャッチアップすることはもちろん、対象となる事業分野におけるスタンダードや、関連技術の発展に応じた改訂を行っています。

民間企業として、研究開発における倫理指針制定を牽引するために

―企業が倫理審査機関を持つことのメリットは何だと考えていますか。

森下:当社の事業分野は発展が著しく、倫理的な課題が急速に浮かび上がっているので、必要性とメリットが特に大きいと感じます。
歴史的に研究倫理は生命・医療系の分野から始まっていて、行政による倫理指針も文部科学省と厚生労働省のものがメインです。経済産業省にも個人遺伝情報と生命倫理に関する指針はありますが、やはり生命・医療系のガイドラインですね。

一方、情報系の分野では人工知能学会や情報処理学会、電子情報通信学会などの倫理綱領はあるものの、企業の研究開発の実践のための指針としては、もっと具体的なものが必要です。大阪大学のELSIセンターや総務省の研究会で議論は進められていると聞いていますが、研究開発の指針や実施手順の整備はこれから進められていく段階だと思っています。
このような中で、研究機関の手続きに則りながらの倫理審査を民間企業である当社が実践してモデルケースを示すことで、当社の事業分野に関わる研究開発における倫理指針制定を牽引できると考えています。

―最後に、今後の展望について教えてください。

森下:各研究分野の専門性についても何らかの対処が必要と考えています。審査を実施してみると、当社の研究開発は意外と多岐にわたっていることに改めて気付きました。マーケティングや広告クリエイティブに関する研究は想定内でしたが、心理学や社会学、あるいはロボティクスの知識がないと研究計画自体を理解することが難しいという事態に直面して認識を改めました。

もともと社内外へ技術トピックスの発信が活発な会社ですので、様々な領域の広報活動等と連携することで審査を円滑に進められるようになると同時に、研究倫理審査の取り組みが社内に浸透することにも繋がると考えています。

馬場:まずは、この研究倫理審査委員会をさらに社内に周知し倫理的な配慮の意識が行き渡るようにしたいのと、社外への透明性を高めて外部からのフィードバックを得たいなと思っています。まだ委員会の独立性や透明性を高められると思っていて、研究者の方々が今以上に胸を張って「適正な場所で審査を受けた」と言える状態にしたいと思います。

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