「チャレンジを応援する社風が後押ししてくれた」
周囲へ宣言し続けることで切り拓いた、
フルスタックエンジニアとしてのキャリア
サイバーエージェントでは、グループ全体で挑戦する人を応援するカルチャーが根付いており、その社風を後ろ盾に様々なキャリアを切り拓くエンジニアが多くいます。子会社 CAM、シロク、タップル等においてWebフロントエンド領域の責任者を担いながら、開発も行うエンジニアマネージャーである江尻もその一人です。バックエンドエンジニアとして入社後、ネイティブアプリ、Webフロントエンドと次々にキャリアチェンジを図ってきました。マルチなキャリアを構築することになったきっかけやキャリアの転換点で出会った尊敬する上司の存在、新たな挑戦への想いを聞きました。
Profile
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江尻 幸生
2012年株式会社CAM入社。バックエンドエンジニアとしてデジタル占い、アーティストファンサイトなどのメディア開発を担当。その後ネイティブエンジニアにキャリアチェンジし、ネイティブ開発のグループ立ち上げを経験。2018年10月からはWebフロントエンドエンジニアに転身。フルスタックエンジニアとして社内全体の技術者育成も担いながら、自身での開発も続けるプレイングマネージャー。
“外注前提” のアプリ開発に悔しさを覚え、
上司に「社内で開発させてほしい」と
── はじめに、CAMの開発体制と、担当業務について教えてください。
CAMでは、職種の垣根を超えてものづくりに向き合い、事業をさらに伸ばすため「Creative Division」に全エンジニア、デザイナーが所属しています。約100名が所属しており、そのうち20名ほどがWebフロントエンドを担当しています。CAMは歴史の長いサービスが多く、それら既存サービスの大型リニューアルと並行して年間3,4件の新規プロダクトも開発しています。
私自身は、サイバーエージェント専務執行役員 飯塚が統括する約10の子会社のWebフロントエンド開発責任者をしています。技術選定やメンバーの育成を担いつつ、プレイヤーとしては、公式サイトやファンクラブを開設できるプラットフォーム「Fensi」の開発に携わっています。
── CAMに入社して約10年、キャリアの転換点になった出来事はありますか?
元々PHPのバックエンドとして入社した後、ネイティブエンジニアにキャリアチェンジし、やがてWebフロントエンドへ移行することになったのですが、それぞれのタイミングは自分にとって大きな転換点になったと思います。
前々職は営業、その後転職しVBAに触れたのが私のエンジニア人生の始まりです。プログラミングスクールにも通ったものの、独学に近い形でWeb開発を学んでいきました。知識を得つつも、エンジニアとしてはまだまだ劣等感を持ちながらCAMに入社したのが2012年。当時は、従来のモバイル事業からスマホ事業に転換しようとしていた真っ只中にも関わらず、社内でネイティブアプリ開発が全く進んでいないことに危機感を覚えました。企画職のメンバーから新規サービスの企画でアプリを作りたいという声が上がるものの、当時は開発体制が十分に整っていなかったので経営陣も外注前提で考えていたようです。それが悔しくて、上司に「入社前にネイティブアプリの開発を独学していたので、通用するか分からないけれど社内での開発に挑戦してみたい」と相談しました。その後上司が経営陣と掛け合ってくれたおかげで、半年間は勉強も兼ねて業務中にインプット時間を取りつつ、 iOS/Android 用 PUSH通知 SDKや管理画面からのAndroid アプリ自動生成ツールなどを開発することで、やがて本格的なネイティブアプリの開発に携われることになりました。
その後、時にはバックエンドにも携わりながらネイティブエンジニアとして従事し、とある大型IPプロジェクトのリーダーも担当しました。サイバーエージェントグループ内からもネイティブエンジニアが異動してきたり、若手にも開発をどんどん任せられるようになってきた中で、CAM CTOの船ヶ山から「江尻、次は何やりたい?」と声をかけられたのです。ふとした会話の中で自然と次のステップへの選択権を与えてくれたこともあり、今度は何に挑戦しようかと考えるようになりました。そこで浮かんだのがWebフロントエンドでした。というのも2017年当時のCAMにはWebフロントエンドエンジニアと名乗れるメンバーがまだおらず、フロントエンドの方向性をとりまとめる人もいない状況でした。また、そのタイミングでサイバーエージェントからWebフロントエンドのスペシャリストが異動してきて、「ぜひ一緒にやりましょう」と声をかけてくれたのです。入社前にHTMLを書いていたこともあったし、彼から学んで職域を広げるチャンスだと感じ、再びキャリアチェンジしました。
── 世の中のトレンドや社内状況を鑑みて、次々とキャリアチェンジを図ってきたのですね。不安はありましたか?
昔から自分は新たな分野に挑戦しても比較的飲み込みが早い一方、悪く言うと器用貧乏だという自覚があり、自分にとってこれだと言える得意分野がないことがコンプレックスでした。ただ、だからこそインターネット業界や会社の動きに応じて、求められているものをうまく取り入れつつ新たな分野に積極的に挑戦できたとも言え、自分の強みだと今は思えます。そのため、キャリアチェンジすることに対しては、一大決心したような感覚はありませんでした。周りから求められているものや状況を推察して動くことが、元来好きなのだと思います。
マネージャーとして自信を失いそうな時も、
CTOの言葉が支えに
── マルチなキャリアを構築していく上で、心がけていたことはありますか?
後輩にもよく言っているのは、「何か新しいことをやりたいと思ったときに、どんどん口に出したほうが良いよ」ということです。どれだけ熱い想いを持って挑戦したいことがあったとしても、誰にも言わなければきっかけはゼロだけれど、周囲の人々に宣言していけば言った分だけ掛け算式に目標に近づいていくと考えています。また口に出した手前、良い意味で自分を追い込むこともできると思います。
これまでのキャリアを振り返っても、ネイティブエンジニアに転換した際にも上司に自ら宣言したことで新たな道が切り拓けました。チャレンジを応援する社風がそれを後押ししてくれたと感じています。
── 現在プレイングマネージャーを務めていますが、元々マネジメントにも興味があったのですか?
実は元々自分はマネジメントには向いていないと思っていて、リーダーを担当することにも消極的でした。ただ、船ヶ山に「やりたくてもやれない人もいるのに、挑戦する前からそのチャンスを無駄にするのはもったいない。俺は江尻にリーダーを任せたい。リーダーは自分の能力を発揮するだけでなく、人を率いてより大きな成果を出していける魅力的な仕事だよ」と言われたのが意識を変えるきっかけの一つでした。
マネージャーとして仕事をしていく中で、時には自信を失いそうな時もあるものの、船ヶ山の言葉が自分の支えになっていると感じます。
── 最後に、今後の目標を教えてください。
今期は「Fensi」のシステム改善にチーム一丸となって取り組むために、マネジメント職務に注力します。そこでしっかり成果を出すことができれば、再度バックエンドに挑戦したいと思っています。新たな知識を習得することでより高度な意思決定を行い、会社にさらに貢献したいです。
また、船ヶ山はどんな領域においても120%力を発揮するスーパーマンのようなCTOで、組織への貢献やエンジニアとしての立ち振る舞いを尊敬しています。身近に目標となる人物がいるので多くの学びと刺激を貰いながら、さらに成長していきたいです。
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「10年以上蒔いた種が、ようやく花を咲かせてきた」主席エンジニアが語る、セキュリティ対策のあるべき姿
2022年より導入した「主席認定制度」において、10年以上当社のセキュリティ強化に真摯に向き合い続けている野渡が、主席エンジニアの1人に選出されました。
経営層、各開発責任者が絶大な信頼を寄せる野渡ですが、主席エンジニア就任時の思いを「10年以上にわたるチームの取り組みを、改めて評価してもらえたようで嬉しい」と語ります。長年セキュリティ領域に携わってきて感じる最近のセキュリティインシデントの傾向や、サイバーエージェントならではのセキュリティ対策のあるべき姿について話を聞きました。
なお、野渡が統括するシステムセキュリティ推進グループについて、詳しくは「『免疫』のようなセキュリティチームを作りたい~主席エンジニアたちが向き合う情報セキュリティ対策~」をご覧ください。