スタートダッシュで遅れた新卒が
社長に抜擢されるまでの10年史。

採用

サイバーエージェントでは年次に関係なく若手にも子会社社長への抜擢や、マネージャーに昇進している実績があります。そのような若手抜擢という華々しいキャリアの一方で「新卒時代に賞を取っていないと抜擢されないのでは?」「30代の社員はどのようなキャリアを築いているのか」といった疑問を持たれる方もいるのではないでしょうか?
そこで、入社10年目の社員がどのようなキャリアを築いてきたのか。「新卒時代誰よりもスタートが遅れた」という当社子会社、株式会社CyberACEの代表を務める西島大に話を聞きました。

Profile

  • 株式会社CyberACE 代表取締役社長 西島大
    2009年新卒入社し、インターネット広告事業部に配属。大阪支社にて、メーカー、教育、人材、通販クライアントなど幅広い業種に対する営業を経験し、福岡支社へ異動。2013年に、営業マネージャーとして、福岡支社の売上を2倍へ躍進させ、2014年からは福岡支社営業局長を務める。そして2017年「サイバーエージェント全社総会」にてベストマネージャー賞を受賞。2018年5月に株式会社CyberACEの代表取締役に就任。

就職する予定がなかった大学時代

中学生の頃からテレビ局で働くことを目指していたため、選んだ大学は西日本で一番マスコミに強いと言われている立命館大学の情報メディア学部。しかし、大学時代のアルバイト先で価値観が変わりました。そこには私と年齢が変わらないのに既に自分の店を持っていて一度事業を畳んだことのある人や、俳優を目指している人など、型にはまらない生き方の人が多くてとても影響を受けましたね。そのまま私も就職をせずに自分でお店を開こうとまで考えていました。

ですが、前述のとおり学部は情報メディアで。仲良くしていた友人達はもちろんマスコミ志望でした。ある時友人がサイバーエージェントを受けるという話を聞き、軽い気持ちで説明会に行ったのがこの会社との出会いでした。IT市場が成長産業であること、若いうちから裁量を持って仕事ができること、そして何より選考官含め出会う社員皆自分の仕事にプライドを持ち楽しんでいる姿がとても印象的で、一瞬で惚れてしまったんですよね。まさに自分が目指していた姿そのものだったんです。そのため、選考はサイバーエージェントを本命に絞り他社は考えず、入社を決めました。

同期の中でも最下位争いに
プライドが邪魔をした新卒時代

関西出身だったこともあり、大阪を希望してインターネット広告事業本部の大阪支社に配属されました。マーケットの最前線は東京ではあるものの、生まれ故郷の大阪を盛り上げたいと思いましたし、場所に関係なく成果を出そうと鼻息荒くスタートした新卒時代。ただ結果はそう甘くありませんでした。自分は出来ると思い込んでいたのですが、全く成果をあげることができず、1年間自身の目標を達成出来ませんでした。プライドが邪魔をして出来ない自分を受け入れられなかったんですよね。同期101人の中でも最下位を争う出来の悪さでした。

転機となったのは2年目の時。上司に推薦されたピーター・ドラッカーの本に「自分を変えるか、組織のトップに立つか。この2つしか現状打破できない」という一節がありました。たしかに1年目は全ての原因を他責にして自己肯定していたんです。ですが、この言葉が腹落ちして、全てを自責に変えるようにしてから上手くいくようになりました。また、そのタイミングで上司が変わりSEMコンサルタントから営業に異動。環境の変化も好転のきっかけになりました。自分で決断したことを実行する、自らを発信していくことを意識し、少しずつ成果を残せるようになりました。
 

福岡支社へ異動した3年目
「挫折経験でした」

3年目になり、当時一番大きなお客様のフロントを先輩社員と2名体制で担当することになりました。それまでは成果を出している自信があったのですが、その先輩社員との差が浮き彫りになることに。3ヶ月間、先輩社員の売上は事業部1位に対して、私は売上ゼロ。朝から晩まで必死に働いた結果がこれだったので、正直潰れかけました。どうすることも出来ず悩んでいた私に、当時大阪支社長で、現在執行役員の武田が話を聞いてくれ、福岡支社異動を打診されました。本当は福岡支社の売上が伸びていたので、勢いをつけるために若手を送りこむという理由だったのですが、私としては大阪で結果を残すことが出来なかったから異動を命じられたと思いましたね。私にとって大きな挫折経験。ただ、先輩との明らかな差を目の当たりにし当時の私にはその差を埋めることができなかったため、「再度環境を変えて1から立て直したい」と異動を決意しました。

売上2倍成長からの急降下、メンバーも4分の1へ
ダウンスタートからのベストマネージャー賞受賞

福岡支社に異動してからは、大阪の先輩社員を早く追い越すためにとにかく結果に拘りました。特別なことをしたわけではないのですが、営業としての数字を達成する、そしてお客様の効果を最大化することにコミットした結果、半年で先輩社員の成果に追いつくことができ、マネージャーに昇進しました。その後は営業マネージャーとして、営業所の売上が2倍に成長。そして福岡に異動した3年目に福岡支社の局長に就任しました。
そんな矢先、売上が急降下する緊急事態が発生。というのも、当時の福岡支社の売上の半分が九州以外のクライアントからのもので、九州では主要顧客のお取引のみ。しかし会社の方針が変わり、九州以外は全て別の支社に引き継ぐことが決定したんです。加えて、そのタイミングで最もご贔屓頂いていた九州のクライアントの取引もなくなってしまい売上が大きく下がる状態に。加えて、20名弱いたメンバーも異動が発生しベテラン社員がいなくなり、福岡に残ったのは私を含む5名で新卒ばかり。いきなり窮地に立たされましたね(笑)。売上の半分を九州以外が占めていたので、九州地方には満足に営業活動が出来ていない状態でした。まずは1社1社訪問して地道に営業活動をしましたが、売上がなかなか上がらず1年間横ばいで、絶望していたのを今でも鮮明に覚えています。

地道な営業活動が花開いてきたのは局長になって2年目。とにかくお客様のところへ足を運び何を求められているのかを徹底的にヒアリングしたり、競合分析や地元の代理店との関係性構築をすることで、マーケットを立体的に捉えられるようになってきたんです。また、クライアントではなくパートナーとして九州地方の市場を盛り上げていこうとベクトルを合わせていくことに注力していきました。自分のやり方ではなく、挑戦する事業領域にプライドを持つことでキャッチアップする情報も変わっていき、そこから戦略を練ることができました。

また、特に力を入れていたのはチーム作り。私の尊敬する上司が支援型のリーダーシップだったこともあり、私自身も背伸びをしないマネジメントを心掛けていました。少しずつ営業メンバーも増えていき、メンバーの可能性を信じて託す形でマネジメントをしていくことで事業が大きく飛躍。マネジメントは短期的に支障が見えづらい為、最もインパクトある打ち手は何か、自分の付加価値業務は何か、を常に考えて動くように意識しました。思考の深堀と壁打ちを繰り返せば、ある程度は想定内に収まる事が多いと思います。結果として3年間で売上を3倍以上伸ばすことに成功し、2017年サイバーエージェント全社総会で「ベストマネージャー賞」を受賞しました。入社して9年目、一度もそういった賞を取ったことがなかったので受賞は想定外でした。ただ、自分以上に福岡支社のメンバーが喜んでくれて、それが嬉しかったですね。また、顧客とパートナーの皆様にも恵まれ、教えていただくことばかりでした。現在も顧客ファーストを重要視しているのは、九州の出来事が原点になっています。

最高水準の広告サービスを全国のお客様へ
社名に掛ける想いと今後の展望

サイバーエージェントではよくある話ですが、株式会社CyberACE設立や「社長」への打診は突然でした。福岡支社の売上も安定し、メンバーの活躍が目覚ましい状態だったため今後どのようにしていくかを上司とも話していました。そこから事業立ち上げの意思決定のスピードは驚く程に早く、会社設立が決まっていきました。今までサイバーエージェントがカバーしきれなかった全国各地の企業を対象にインターネット広告代理事業の立ち上げが決まり、エリアマーケットにも詳しい私が抜擢され、2018年5月に設立しました。

会社名の「ACE」には様々な想いを詰めています。まずアルファベットの「A」。サイバーエージェントグループの社名はアルファベットの後ろを使った社名が多かったのと、「A」を用いた社名がなかったため、マーケットトップを取ろうという想いから「A」を使用した単語にすることに。そして「ACE」という意味は「最高」や「第一人者」という意味があります。サイバーエージェントのネット広告は数ある広告会社の中でも「最高」のサービスを提供することを目指していますが、そのサービスを全国のお客様にも提供していきたいとうビジョンがあります。また、「21世紀型の組織」という「第一人者」、さらには子会社の中でも「エース事業」にしたいという想いも込め、(株)CyberACEと名付けました。
会社としては、オンライン上の営業活動を駆使しながら、営業拠点に捉われることなく全国各地のあらゆる企業を対象に、当社の強みである広告運用とクリエイティブ力を活かしたサービスを提供しています。私が目指す組織は、社会意義のある、顧客に求められる組織です。そのために、多様性のあるメンバー全員が活躍できる環境づくり、グループの中で最も人材が成長する仕組み、そして組織で勝つためにも全員がオーナーシップを持ち生き生きと働いてくれる事業環境を創りたいですね。それが私のマネジメントスタイルだと思っています。

私は順風満帆なキャリアを築いてきていません。しかし諦めることなく続けてきたことで、このようなチャンスを得られたと思っています。これもキャリア形成の好事例の1つとして多くの若い世代を勇気付けられるように、今後もチャレンジし続けていきます。

【関連リンク】
株式会社CyberACE
 

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なお、野渡が統括するシステムセキュリティ推進グループについて、詳しくは「『免疫』のようなセキュリティチームを作りたい~主席エンジニアたちが向き合う情報セキュリティ対策~」をご覧ください。

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