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1998年の総括
1998年12月31日
明日からいよいよ世紀末の1999年になります。 普段はあまり自分のことを振り返ることがないので、この機会に今年1年間に起きた出来事を総括してみたいと思います。 ちょうど去年のクリスマスの日に私が会社を辞めて起業することを決意してからちょうど丸1年間経ちました。この1998年は信じられないくらい速い1年間で、それでいて1997年の今頃は遠い昔の出来事のような気がします。 今年の3月、私はインターネット業界の営業力の弱さに目を付け、サイバーエージェントというそれらしい名前をつけててこの業界にとりあえず、参入することにしました。 会社をスタートさせる前にアスキーサムシンググッドの高津さんに会いに行きました。私にしてみればまだできてもいない会社と提携してもらえるかどうかの緊張の瞬間でした。高津さんはインターネットのプリペイド決済事業WEBMONEYを当時はほとんど独りで立ち上げていたすごい人ですが、WEBMONEYの立ち上げの段階での一時的な営業力の必要性を感じていて、私たちは提携に成功しました。つまりWEBMONEYの営業部のポジションを丸ごとアウトソーシングできた訳です。 4月5月6月と私と創業メンバーは必死にWebMONEYの加盟店を集めて回りました。ちょうどこの時期はどこの会社も新しい決済事業に強い関心を持っていて、営業活動は比較的容易でみんな耳を傾けてくれる状況でした。私たちは4月から何とか会社を運営できるだけの売上げを確保できました。 実際に顧客の元へ足を運んでいて、やはり目ろみ通り、インターネットの業界の営業力は盲点になっていることを確信しました。私たちは次々に提携の話しを持ち掛けられたり、代理店販売の依頼を受けていました。その中で、気に入った商品は代理店販売することにしていました。 ちょうど4月の終わり頃、営業先でアメリカで流行っているクリック保証型のバナーシステムが日本で始まる話しを聞いてきた日高と石川が興奮気味に私にその内容を話しました。それが現在競合となっているバリュークリック社のバナーシステムです。 私はインターネット広告がまともに収益を上げているのをその当時見たことがなかったので、半信半疑でその話しを聞いていましたが、とりあえず、営業のついでに案内できるところがあれば案内する孫代理店の立場を取ることにしました。 8月に急にサイバークリックを立ち上げました。思い付いてからスタートするまでの所要時間はわずか1時間程度で、まさに急にという表現が妥当だと思います。既にバリュークリックの孫代理店としてクリック保証型の広告に触れ、その市場性を確信していた私は、日本の広告慣習に従って、代理店の代理店をやっていることにストレスを感じ始めていました。 それならうちで出来ないかな、と考えてアルバイトの東工大院生の長谷川君に相談したところ、気の強い彼は出来ますよ。と軽く言い返しました。それを思い付いたら、もう止まらず、まだシステムも出来るかどうかも解らないサイバークリックの予約販売を開始しました。彼も寝食の時間を削ってシステムを完成させました。ところができるにはできたのですが、トラブル続きで、そのシステムはとても納品できるものではありませんでした。受注が溜まっているにも関わらず、納品できず途方に暮れた私たちはシステムを作ってくれる会社を探しました。 外注先を検討し始めたとき、私には一つ気になる会社がありました。それが現在パートナー企業となっているオンザエッヂなのですが、私は何故かその当時エッヂのホームページにブックマークを付けていました。 真っ先にこの会社に相談しに行って、初めてオンザエッヂの社長の堀江さんと会いました。 彼は私の一つ年上で東大を中退した社長ですが、そこでの打ち合せでは、ろくにシステムの内容を話していないで、インターネットビジネスとはうんぬんかんぬんという話しばかりしていました。それで、「あの、システムはできるんでしょうか・・」と尋ねたところ、「いや、できますよ。」と言われ、数日後見積りが上がってきました。 その見積りでは外注先として、システム開発料金を支払う方法と、パートナーとして売上に応じてシステム料金を支払っていく方式の2通りを選べる提案になっていました。提示された開発費は思っていたよりもずっと安くて(今考えれば本当に安い)払えない金額ではなかったのですが、今後のコンサルティング的な要素も期待して、パートナーシップを採ることにしました。 また、時間的な問題もあったのですが、私は妙にこの会社が気に入って周囲のアドバイスを無視して他のシステム会社と合い見積もりを取ることもしませんでした。 インターネット広告のシステムは外資のライセンスを受けることが多いですが、オンザエッヂは全くの日本の独自開発のシステムを短期間でしかも予想を大きく上回る出来で完成させてくれました。9月に正式に稼動し始めて、既にサイバークリックの配信数は1日あたり200万PVを超え、提携しているサイトは1000サイトを超えました。 あっという間に日本で有数のインターネット広告商品に育った訳です。 本格的にオンザエッヂと提携しているメール広告事業のクリックインカムもこの年末から稼動を始めました。この広告も順調に売れ始め、メール新聞のコンテンツも予想を上回るペースで申し込みがきています。 1999年にはいよいよサーチエンジン事業を手掛け、インターネット広告市場でのNO1企業となる足場が整います。 1999年の3月には資本金を5倍に増資して、今の3倍以上広さで家賃5倍のオフィスに引っ越し、社員数はスタート時の5倍の21名になります。 思えば、右も左も解らないまま全力疾走してきた1年間でしたが、インテリジェンスの出資を得たこともWEBMONEYと提携できたこともサイバークリックを立ち上げたこともオンザエッヂというパートナーを得られたことも、幸運の連続だったと思います。 でも、幸運の波に乗れたのは、机の上でじっと考えていたのではなく、実際にリスクを負って自分達で動いた成果として“実績"を作っていったからだと思います。出資を受ける前に1年間社員としてインテリジェンスで事業対する集中力を“実績"で証明し、出資を受けたという“実績"を持ってWEBMONEYと提携し、同様の商品を代理店として売った“実績"を持ってサイバークリックを立ち上げ、予約販売で実際に売り上げを立てられるという“実績"を持ってオンザエッヂとのパートナーシップを得ています。 若い起業家は実績を問われるのが一番辛いところですが、いくら素晴らしい夢や志を持っていても実際に実績が無ければ悲しい一人よがりに過ぎないと思います。 今、サイバーエージェントは飛躍への足がかりをつかみ始めたところだと思います。 私は学生時代に麻雀にはまっていた頃、ツキ始めると手がつけられないとよく仲間にぼやかれていましたが、勝ち波に乗り、それを維持するセオリーを自分なりに持っているつもりです。勝ち波を逃すのは、つまらないポカミスだと思います。勝負どころで攻め続け、引くところでしっかり引くことが肝心です。 つまり立ち上げのステージではまさに勝負どころとなる1999年は今以上に集中力を発揮しなければなりません。 奇跡が起こりそうな1999年を、サイバーエージェントは爆発的な飛躍の年にしたいと思います。